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最近大学時代の知り合いから優しさをわけあたえてもらう機会が何度かありました。
それは私が「こいつには優しくしなきゃな」という状況にあったからなんですが、それでもそう思ってくれる前提条件というかそういう関係を大学時代に築けていたんだなあと考えると嬉しく思います。
それだけでも自分は充分恵まれた立場にあるんだと思います。今もちゃんと仕事につけているし、身体も健康(なはず)です。
今私は、上記に書いたように「こいつには優しくしなきゃ」と思われるような状況にもあるけど、気持ちが1番憂鬱だったというか心臓のあたりが1番痛かった時は過去に別にありました。多分悩みを構成する要素とそのベクトルが異なるのでしょう。
ただその最も心臓のあたりが痛かった時期に出来た友人が、今私に優しさを与えてくれています。その事実にあの時心臓のあたりに痛みを感じて良かったのかなと思います。
(このあたりで聡明な人ならば今私が抱えている悩みもいつか上記のように昇華されるのではと考えます。けれども私は愚かなのでそれに気付きません。)
いやなこと、いいわけ
部屋をきれいにするとか、自分で料理をするだとかが出来ない状態にある。
宅建の勉強もしなくちゃいけない。詩とか小説とかを読んで教養とかもつけなきゃいけない(そういう話をする人仲良くなりたいので)。
でも結局酒を飲んで嫌な気持ちから逃げている。
お店に行くことが勉強になるんだと、自分に言いわけをして、
これからどうしよう
5月28日月曜日
風邪を引いてしばらく辛いまま一週間を消費してしまった。
風邪を引いた理由としては床に臥せる羽目になる前日の行動にあるだろう。
その日、午後の3時ごろ気持ちよくワインを飲み、そのまま面接に行き(その時水分補給としてコーヒーだけ飲んだ)、面接終了後御茶ノ水で飲みなおそうと思い戻るとなぜかブックオフに行くことに、秋葉原まで歩いた。早く何か液体を口にしたかったが、そのあと飲むということなので途中で何か買うのは控えた。後輩がブックオフでCDを購入し、さてどこで飲もうかという段階で押上で飲もうとなる。秋葉原から押上に行くには神保町まで歩くのが安く済むのでまた歩く。途中何度もそのあたりにある居酒屋の誘惑があったが歩いた。歩き回り、電車に揺られ、ついた先の店で最初に飲んだ生ビール(サントリープレミアムモルツの香るエール)は極限に美味しかった。
と、このように水分を摂らず、酒とコーヒーばかり飲み、そのまま寝てしまった翌日、明らかに喉に違和感。そのままバイトに行ったら体調がイーヴォーなことになっていたわけだ。
風邪を引いた結果体重が1キロ落ちたのはちょっとうれしかった。
5月20日日曜日夜
酒を飲んだ。
サントリーの缶のジントニック、角ハイボールの500缶、トリスの缶もちょっともらって味比べなんかしたりもした。
海を見ながらベンチで飲んだ。こう書くと随分と優雅な印象だが実際はそんなものではなかった。文章化という抽象化作業を経た経験と、抽象化を経る前の思い出に乖離がある。
抽象化する事で「あれはいい思い出だった」と思い返す事が多い。それは思い出の洗練なのか劣化なのか。
お台場にはショッピングモールがたくさんあった。
私はショッピングモールというのが好きではないという事を自覚した。
私の地元にはお台場ほどではないがショッピングモールが多くあった。というかそれくらいしか娯楽施設がなかった。だから私が上京した時、ショッピングモールという枠に入っていないお店がたくさんあることに感動を覚えた。その反動でショッピングモールに負の印象を持ってしまったんだろう。
ショッピングモールの中にある飲食店は良くない。どのお店に入ってもそのショッピングモールの空気に支配されている。個性がない。これについてはまた何処かで整理してみたい。